2015.5.19
Rem Koolhaas メディアと情報の使い方
近代建築家の中で最初にメディアを意識しだしたのは自分の思想をエスプリヌーヴォーなどのメディアに落とし込んだ コルビジェだと思うのですが、コルビジェよりさらにメディアの使い方を推し進めAMOというコンサルティング会社までつくり 、メディアという特定のフォーマットというよりは情報そのものの収集と活用を建築というコンテキストに落とし込んだのがレムコールハースです。
ブルースマウとS,M,L,XLというグラフィック本を作り、錯乱のニューヨークでマンハッタンをロマンチックに解体する。プロジェクトやプランはどんなささいな記憶の断片も分厚いファイルに固定され、ファイリングされた情報はただの資料ではなく、資料の痕跡そのものが建築の一端を担っている。
クリシェを好まないとコールハースは言っているようですが、単に新しい物を求めているともまた違う気がします。知的に意識的に本能の赴くままというか、そんな矛盾をはらんだ志向の持ち主という印象です。
本を何冊か読んだだけで語るなどおこがましいのですが、彼の存在そのものが建築であり、逆に彼が建てた建築物の形態からコールハースらしさというものはあまり感じられません。
コールハースは自分らしさを建築の形態に求めるような建築家ではなく、その時に応じて求められているものを建築の形に落とし込んでいきます。中国国営放送の本社ビルコンペなど、クライアントが今最も求めているものを提示出来るストレートさを出せるところが簡単なようで難しい。中国国営放送本社ビルコンペで最後まで競った伊東豊雄さんのスタンスをみると感じますが伊東さんの場合建築にご自分のアイデンティティを求められているように感じます。コールハースの場合は自分のアイデンティティではなく相手の要求を素直に建築の形態に昇華します。というかそのやり方自体がアイデンティティを現しているのかもしれません。
自分を殺す事はデザイナーでも常に求められるます、ほとんどのクライアントや案件でデザイナーのアイデンティティなんて商品の売上や評価など一番の関心ごとに比べればとても小さな問題です。そこで求められるのは品物がどうやったら一番よく売れるか、企業としての評価が建築でどう上がるのかと言う事に尽きると思います。もちろんクリエイティビティに強い関心を持ってくれるクライアントもいますがやはり少数です。
デザイナーは常にその大多数のクライアントの要求と自分の自我が接する点Xを近づけるために努力し続けますが、その過程そのものを提供して評価されることはありません。
結果だけが重要視されるデザインの世界でデザインに至る軌跡を、高度に見せる事ができたら一つ今自分が理想としているデザイナーのあり方に近づけるのかもしれません。
S M L XL: Second Edition

関連記事

写真と建築と装丁 桂離宮 石元泰博
建築写真の写真集は建築物の姿を忠実に伝えようとしているものと、建物に忠実というよりは写真を撮ることでその建築が持っている潜在性を最大限に浮かび上がらせるものがあると思いますが、この写真集に関して言えば

大地に残るデザイン モエレ沼公園 イサムノグチ
四国にあるイサム・ノグチ美術館に行って以来その彫刻作品の質感や、形状が生み出す空間とのいい意味での違和感に魅了されていたぼくは、たまたま行く用事のあった札幌の時間の合間を縫って見学してきました。

坂倉準三 Lived space 空間を生きた。 神奈川県立近代美術館 鎌倉
神奈川県立近代美術館 鎌倉館が2016年3月末の土地契約満了をもって閉館となるということです、展覧会は1月の末で終わりということで最後の展覧会に行き建築本を入手しました。

サンクポワン 現代建築アイコニックカルタ
Play with Architecture! をコンセプトに建築家が手がけるブランドCinqpoints(サンク・ポワン)が送るアイコニックカルタ。

アントニ・ガウディとは誰か 磯崎新
7/10発売のブルータスが井上雄彦さんを通したガウディ特集だったのに即発され、久々に磯崎新さんの表題の書籍を読み返しつつ、ガウディと特にサグラダファミリアについて書いてみました。